臓器提供

もし脳が機能しなくなったら、さっさと死にたいなと思う。管に繋がれて、意識のないまま生きていたくはない。未練がましくベットに横たわっていたくない。私が死んだことを、素直に受け入れて欲しい。

 

臓器提供、したい。

役立たずな人間が、最後に役に立てるのなら。

ただし、レシピエントには"ドナーの分まで生きなきゃ"なんて思わないでいて欲しい。あなたの体の中に、その臓器が入った時点で、あなたのものだから、あなたの人生を生きるだけでいい。2人分背負う必要はない。ドナーはもう死んでいる。

何者かになりたくて。

今、パワーが無い。

とてつもなく怠惰。

恐ろしいほどに。

 

何もせずに1日を終えることがほとんどで、それが嫌になって、また引きこもって。何処かで踏ん張って、立ち上がらなきゃいけないのに、立ち上がれなくて。また、自分って弱々弱虫だなって。布団に潜って、苦しくなる。

 

ずっと何者かになりたくて、自分は何者になれるんだろうって考えていた。

何をするにも、自分より凄い人は五万といる。素敵な文章を書く人も、突飛な発明をする人も、人を絶対幸せな気持ちにさせてくれる人も沢山いる。何をしても、その上を行く人たちが大勢いるから、自分は居なくてもいいと思う。

結局、自分が自分以外の何かになれるはずがなかった。何者にもなれやしない。

あなたには絶望されたくないのです。

私はこれに興味がある。

私はこの雰囲気が好き。

この写真が好き。この絵が好き。この本が好きこの音楽が好き。この人が好き。

 

そうやって、私が持ってるたくさんの好きを並べた時、あなたはどう感じるのか怖いのです。

あなたが今まで見てきた私が、それとは違うと感じた時、あなたが私から離れていかないか、私にがっかりしないか、とても不安なのです。

 

どうでもいい人には、どうでもいいのです。

信頼しているから、大好きなあなただから、ずっと親しい仲でいたいから、好きを素直に伝えることに臆病になります。

 

私はあなたの目にどんな形で映っているのか、私には分かりません。どのくらいあなたの中の私という人間が、私の理解している私と、あなたの中で一致しているのか、分からないから、どこまで自分を外に出すべきか思案します。しかし、私は、あなたがどんな人間なのか知りたいと思うと同時に、あなたに私がどんな人間なのかも知って欲しいと思ってしまいます。

 

どうか、わがままな私をお許しください。

私はいつ死ぬのでしょうか

死にたくなる。

 

というか、私はいつ死ぬのかなって毎日のように考えてる。

 

体は健康だから、病気とか老衰で死ぬ未来は全く想像できなくて。そうすると事故か自死かどちらかになる。

 

高い建物に登って窓から外を見た日は、ここから飛び降りたら死ねそうだなって思う。

高校生の時、毎日電車のホームで線路に落ちて轢かれる想像をした。

此処はどうだろう、と、歩道橋の下を走りゆく車を眺める。

 

自殺の方法は考えてある。咄嗟の時出来るだけ人に迷惑がかからない方法で死ねるように。

ビルから飛び降りるのは下にいる人が危ないからダメ。

電車に轢かれるのは人に迷惑がかかるからダメ。

一人暮らしのアパートで自殺はそのアパートの価値を下げて大家さんが困るからダメ。

今のところ、睡眠薬飲んで海に沈むのが1番いいかなって思ってる。

もちろん、家族が永遠に探し続けることがないように死んだという何かしらの痕跡は残す。

 

でも、うっかり死なないように睡眠薬の購入方法は調べないでおく。

食べたいものを食べて、逃げたくなったら逃げて、寝る。

明日死んでもいいやって思いながら今日を過ごしてる。

 

なんで生きてるか分からないから死にたくなる。

なんで生きてるか分からないから生きてる。

死ぬ準備を少しだけして、とりあえず生きてみる。

 

私はいつどうやって死ぬのかな。

感じ方の違いについて

高校生のとき、家族旅行の途中で美術館に立ち寄った。

 

確か、5、6メートルのキューブの床に、様々な種類の花が30センチくらいの間隔をあけて咲き、その間には2、3人の子供が死んだように寝ている作品だったと思う。それは、私たちが小さな窓からその急の中を覗き込むようにして見るという形をとっていた。

 

それを見たとき、母も父も妹も、私以外の家族全員が「怖い」と言った。

怖いと言って、そそくさと次の作品の方へ歩いていった。

 

私は怖いなんてこれっぽっちも思わなかった。その作品を見たとき、そんな感情は一切出てこなかった。むしろ、真逆だった。

 

 

この時、家族が他人であることを改めて理解した。

決して理解していなかった訳ではないのだけれど、ここまで何かに対して、家族と違う感情を持ったのは初めてだったように思う。同じ家の中で、同じものを食べて同じものを見て生活していても、外で見ているものがほんの少し違うだけで、こんなにも感じ方が違うのかと思った。

 

ただ、家族の中で私1人だけが、違う事を感じたということに、疎外感を覚えたのは言うまでもない。少しだけ、寂しかった。

 

 

 

考えてみると、ずっと同じように感じ方をしていると思っていただけで、これまでも全く違う目で物事を眺めていたのかもしれない。

 

そういえば、今まで何かに対する感想を言い合ったり、自分の中にある考えについて家族と議論する習慣がなかった気がする。

 

こんな出来事があった。あんな出来事があった。という会話はしても、それでどう感じたのか、それについてどう考えたのかと言う会話はしていなかった。

 

それで、勝手に同じ感じ方をしていると思い込んで、勝手に疎外感を覚えるなど、なんて愚かなんだろう。

 

あの時、あの場所で、あの作品を前にして、もっと話をするべきだった。なんでそう感じたのか、もっと深くまで聞くべきだった。

 

 

 

自分と自分以外の人間は、同じ場所にいようと、同じ生活をしていようと、あなたと私の間に等式は成立しない。

だから、もっと会話をする必要がある。もっと自分のことを相手に伝える練習を、もっと相手のことを聞く練習をしなければならない。

 

 

愛とか恋とか

好きとか愛してるとか、ちゃんと真っ直ぐ言ってみたい。言われてみたい。

 

好きな本も好きな食べ物も好きな音楽も、誰かに「私はこれが好きです」とすらうまく言えない人間だけど、真っ直ぐ目を見て言ってみたい。

 

好きって直感だと思う。それより美味しいものも、美しいものも、面白いものもきっとあるけど、私はそれが好き。理由なんてない。好きだから好き。単純で明快。

 

私は私が好きだと思ったことを信じる。私の直感は私にしか分からないのに、他人に左右されるなんてもったいない。

 

 

愛ってなんでしょう。恋って何でしょう。

よく議論されるけど、結局答えは出たのでしょうか。

 

日本人が言う「愛してる」って、ものすごく重くてなかなか口から出てこない。拗らせてる。「愛してる」のたった4文字が「月が綺麗ですね」の7文字に変わる。

決して海外の方の「愛してる」が軽いって言ってるわけでは無くて。

 

 

愛って大好きで、大嫌いで。でも、大嫌いなところも大好きで。離れたとしても、あなたのことを思う自信があるわけで。そんな私の気持ちをあなたはきっとお見通しで。

 

恋って大好きで大好きで大好きで。あなたから離れるなんて考えられなくて。でも、あなたはそんなこと知らなくて。

 

これは、そんな経験が全くないわたしのただの妄想にしか過ぎないのだけれど。

 

 

 

 

 

大好きだから大嫌いって言える人が欲しい。

 

 

 

 

子どもについて

将来、子供は作らないと思う。

 

旦那さんも子供も両方同じように愛することができるほど、私は器用な人間じゃない。

 

自分の事と子供のこと、両方を両手に抱えて生きていけるほど、体力があるわけでもない。

 

自分で稼いだお金は自分が使いたいと思ったことだけに使いたいし、無駄遣いしたい。

食事にあまり興味がないし、栄養が取れるなら、毎日同じものだけを摂取していればいいと思うと考え方。

 

人に助けを求めることが得意では無くて、一人で抱え込んで、勝手にいっぱいいっぱいになって、ある時ぷちんっと、やる気がなくなってしまう。

 

そうなったらなかなか元に戻れなくなる。

元がどうだったか分からなくなる。

 

さらに、依存しやすい人間だから、たぶん縛り付ける。完璧な人間など存在しないのに、完璧を求めようとしてしまう。自分がそうでは無いから余計に。

 

頑固で不器用な人間だから、予測不可能な出来事に柔軟に対応できない。

自分のことさえ把握できないのに、全く別の脳を持った子供の世話などできるはずがない。

 

失敗したらやり直せばいい。

行動してから考えろ。

とはよく聞くし、最もだとも思う。

 

しかし、子育てに関してはそうはいかないのではないかと思う。

 

失敗のひとことでは片付けられない。

やり直す?ふざけるな。壊れたら元に戻らないものもある。

 

今の私は子育てが怖い。

 

しかし、これは人ひとりの人生を請け負う責任を放棄しているだけかもしれないとも思う。

 

人生は長い。