妹へ

入学後に自己肯定感爆下がりしないように、21時に寝ちゃう父母たち叩き起こしてちゃんと会話するんだよ。助けを求めることは、弱いことじゃなくて強い証拠だからね。

貴方はすごい。70点でも満足することを覚えるんだよ。100点に近くないならやる意味ないやってならないで。

周りには凄い人たちが沢山いて、羨望も嫉妬も何も無くなって生きてる事に疑問を持つかもしれない。なんで生きてる?どこに価値がある?何かになりたいけど、結局何者にもなれない。でも、貴方はその中の一人であることに疑問を持たなくていい。集団の中から一歩も二歩も引かなくていい。どんな考えを持っているのか伝えて聞いて。自分を知られる事を怖がらなくて良い。

他人と比べるなら、過去の自分と未来の自分と今を比べる癖を。人間二人いたら必ず順位がつくから、それはスルーすれば良い。

高い建物を建てるより、小さなテントの中を好きなもので一杯にしたらいい。

貴方は生きてるだけでいい。

 

自分ができない事を押し付けるのは違う気がするし、上から目線かも知れないし、でもかなり思考が似てる気がするから伝えたいけど面と向かうときっと何も言えないんだろうな、でも外に出さないと自分の体の中でぐるぐるしちゃうから供養。

日記つけたほうがいいんだろうけど、毎日何か書かなきゃってなってめんどくさくなって2週間くらいで放り投げてしまう。70点で良いのにね。

死ぬことより生きてることの方が苦しいんだから鈍感に生きてくれ。

自分のことを好きにならなきゃ、誰の好きも信じられないし受け入れられないのかな。

 

真っ直ぐで不器用でどうしようもないけど、離れられない人たちを見ると。心がぎゅーっとして、それが指先まできて苦しくなってしまう。

成績がいい≠頭がいい

成績がいい人間と頭がいい人間は決してイコールではない。

成績がいい人間になりたいのなら、受け身な人間になれば良い。先生の言ったことに対して、うんうんとうなづき、課題を出されたら、その分だけ過不足なく、きっちりと行う。これが間違ってると言われたら、それが間違っているのかと受け入れる。そんなことをしていれば、塾に行かなくとも、小中は成績トップだし、偏差値60越えの高校に行ける。

しかし、そんなこんなで過ごしていると、ある時、自分が空っぽであることに気がつく。絶望する。ほぼ全ての教科が面白いと思うし、ほぼ全ての教科がつまらないと思う。何を感じたのか、質問はないかと問われても、うーん?と唸るだけである。わたしは何も持っていない。溢れんばかりのパワーと才能を持つ周りの人間が眩しすぎて、わたしは井の中の蛙、いや、井の中のミジンコ、ミドリムシ、もはや井の底の泥?嫉妬という感情は何処かに消えた。

受け身を習慣化した人間は、空っぽのまま空っぽを埋める方法もわからず、空っぽの自分に絶望する。結局お前は何が好きなんだ?

一度逃げたらいつまででもそれは追いかけてくる。同じ形ではないにしても、それに立ち向かうことをやめた時点でお前の負けだ。ただし、逃げた先でもう一度立ち向かえばお前の勝ちだ。

 

もう無理だ。手一杯だ。こんなにたくさんのタスク、周りの人はどうやってこなしているんだ?できない。わたしにはできない。そう思って、全てを放り投げてベッドに潜り込む。

しかし、頭の中で、やらなきゃいけないこと、逃げてしまったという事実が頭の中をぐるぐる回る。やっと眠りにつくことができたわたしは、夢の中で追いかけられる。銃を持った人、知り合い、見知らぬ人、時には馬にさえも。

予定であれば、翌日、スッキリとした気持ちで、逃げたタスクに立ち向かおうと寝たはずなのに、そんな気持ちのいい朝は来ない。日が変わっても更新されない。昨日の続きが待っているだけだ。逃げるな。結局、追いかけてくるのだから。

憧れについて

自分自身の身体を使って、表現することへの憧れが強すぎる。与えられた情景の中に自分を溶け込ませ、自分ではない自分を他者に見せる。自分ではない誰かの人生を経験することができる。それも一回だけではなく、何回も。

小学生の頃、フィギュアスケートに憧れて、何回も見ていた。滑りやすい新品の靴下は、フローリングのリンクでスケートシューズとなった。A 4のコピー用紙にうろ覚えの技名を書き並べ、自分だけのプログラムを作り、音にのせ、好きなだけ滑る。最後のポーズをすれば、拍手が聞こえる。

学校で音読をする時は、人一倍張り切っていた。先生に向かって、早く私を当てて。沢山読みたいの。私を当てて。と念を送る。ついにそれが届いた暁には、心の中でガッツポーズをする。お話の部分はまるでナレーターのように。鉤括弧の部分は感情をのせて、声色を変えて、まるで登場人物が乗り移ったかのように。

楽しくて仕方がなかった。