感じ方の違いについて

高校生のとき、家族旅行の途中で美術館に立ち寄った。

 

確か、5、6メートルのキューブの床に、様々な種類の花が30センチくらいの間隔をあけて咲き、その間には2、3人の子供が死んだように寝ている作品だったと思う。それは、私たちが小さな窓からその急の中を覗き込むようにして見るという形をとっていた。

 

それを見たとき、母も父も妹も、私以外の家族全員が「怖い」と言った。

怖いと言って、そそくさと次の作品の方へ歩いていった。

 

私は怖いなんてこれっぽっちも思わなかった。その作品を見たとき、そんな感情は一切出てこなかった。むしろ、真逆だった。

 

 

この時、家族が他人であることを改めて理解した。

決して理解していなかった訳ではないのだけれど、ここまで何かに対して、家族と違う感情を持ったのは初めてだったように思う。同じ家の中で、同じものを食べて同じものを見て生活していても、外で見ているものがほんの少し違うだけで、こんなにも感じ方が違うのかと思った。

 

ただ、家族の中で私1人だけが、違う事を感じたということに、疎外感を覚えたのは言うまでもない。少しだけ、寂しかった。

 

 

 

考えてみると、ずっと同じように感じ方をしていると思っていただけで、これまでも全く違う目で物事を眺めていたのかもしれない。

 

そういえば、今まで何かに対する感想を言い合ったり、自分の中にある考えについて家族と議論する習慣がなかった気がする。

 

こんな出来事があった。あんな出来事があった。という会話はしても、それでどう感じたのか、それについてどう考えたのかと言う会話はしていなかった。

 

それで、勝手に同じ感じ方をしていると思い込んで、勝手に疎外感を覚えるなど、なんて愚かなんだろう。

 

あの時、あの場所で、あの作品を前にして、もっと話をするべきだった。なんでそう感じたのか、もっと深くまで聞くべきだった。

 

 

 

自分と自分以外の人間は、同じ場所にいようと、同じ生活をしていようと、あなたと私の間に等式は成立しない。

だから、もっと会話をする必要がある。もっと自分のことを相手に伝える練習を、もっと相手のことを聞く練習をしなければならない。